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「ピッチと時間:«ユニヴァース交響曲»のリリースに寄せて」

 

決定版総譜の組み立てに際して、チャールズ●アイヴズによるスケッチの内容が
どのように解釈されたか等、この交響曲へのガイド

Harmony & Charles.Ives, c1946
Halley Erskine/Yale Music Library

                       交響曲の伝統と«ユニヴァース交響曲»

西洋の音楽芸術は、歌詞をいかに表すかという形式から一旦離れるや、交響曲の方向に
向かった。ある種の踊りの形、例えば(根本的に人間のしゃっくりに基く)中世の
ホケット(hocket)等、音楽は叙情詩の長さに限られていた。言葉が尽きれば、音楽も
終わった。

バロック時代(1600-1750年)の器楽組曲は、歌詞から離れて音楽を作り出す
ことのできた最初の音楽形式であった。そのような組曲は、主だったダンス形式を
取り入れ、それらを短い楽章として並べ、更により本格的な序曲、又はプレリュードを
加えることが多かった。組曲中のそれぞれの楽章を通じて同じ調を保つことにより、
又、アイリッシュ・ジーグ、スペインのサラバンド、あるいは新しいフランスの舞踊
クーラント等、一般によく知られていて、聴いてすぐそれと分かるような馴染みのリズム
を与えることによって、より本格的で抽象的な作品が可能になった。

バロック時代には、各パートにつき一人の奏者という設定で作曲された。恐らく、組曲に
みられる抽象的な個々のメロディー(言葉とは無関係の)の最もすばらしい例は、
バッハの有名な«無伴奏チェロ組曲»の中に見られる。後になって作曲家と聴衆によって、
より充実した弦楽部がますます要求されるようになるに従い、ますます規模の大きくなる
セクションをコントロールするテクニックが必要となった。その解決法は様々であった。

中でもドイツのマンハイムのカール・シュターミツによる‘クレッシェンド’の発明は、
表現をより豊かにする重要な音楽標語として特筆に値するものである。それ以前は、ごく
基本的な‘大きく’と‘静かに’を示すのみであった。‘クレッシェンド’とその反対の
‘デクレッシェンド’は、音の強さを段階的に表すことによって、器楽アンサンブルの
表現力を大きく変えた。このような新しい形での音の強弱の変化を導くために、異なった
楽器奏者たちをまとめ、全体としての表現をまとめるための指揮者が必要となった。
そのような形でのアンサンブルが古典音楽の交響曲を弾くオーケストラの元となったの
である。




始めは、奏者でもある指揮者がキーボードの陰から、あるいはヴァイオリンの上で首を
上下させて合図した。やがてそれは、別個の一つの役割へと発展していった。パリの
ジャン・バプティスト・リュリは、大きなこん棒で床を叩いて拍子をとったが、ある時、
誤って自分の足を打ち、それが元で壊疽を生じて、命をおとした。次第に大きなこん棒は
削られて形を整えていき、理想的には右手で振り回すことのできる見違えるような細い
とがった棒となった。(そのとがった先で自分を刺すこともあったから、これとても
必ずしもより安全な変化であったとは言いがたい。)指揮者によっては、指揮棒を使わずに
手だけで指揮することを好む。この録音に於ける指揮も手で行われた。

しかし、構造的に充実した交響曲としての絶頂期に達するまでには、形式に対して、更に
何らかの工夫がなされなければならなかった。ダンス形式のみでは、十分ではなかった。
古典派時代(1750年—1820年)においては、‘ソナタ・アレグロ形式’と呼ばれる
ものが、楽章の構造に大変革をもたらした。その形式の最大の魅力は、異なった主題を
代わる代わる使って、それらを発展させることができるということである。互いの関係を
そこなわないようにしながら、第一の主題を第二の主題と対照させるのであるが、
これは、容易なことではない。

ソナタ・アレグロという名称が示すように、それは生き生きとしたテンポで、通常三つ、
又は四つの異なったセクションの第一番目に来る。しかしその内容は、もちろん、後にも
再び現れ得る。その他にも、もっと長い楽章に統一性をもたらすために使われる、繰り返し
起こる同じ音型の美しい低音旋律を使うパッサカリアや、J. S. バッハによって有名に
なった、一つのメロディーがもう一つのメロディーと連続して次々と現れるフーガなどの
形式がある。交響曲の作曲家たちは、楽章の数については、定まった考えは持たなかった。
(例えば、ヘンリー・カウエルの«交響曲第十一番»は、七楽章ある。)

これらの形式の偉大さは、交響曲の作曲家たちにとって、彼らがそれぞれにユニークで
創造的な作品を生み出すようになる出発点になったという事実にある。モーツァルトは、
気分の赴くままにあるときは五つの異なった主題を使うであろうし、ベートーベンは、
ソナタ・アレグロ形式の展開部の長さを二倍にすることもある。より偉大な芸術家たちに
とって、ある数学的方式に厳密に従うだけでは余りに単調であるから、やはり、創造の
プロセスにとって、新しい試みは本質的なものとなる。歴史を一巡りしてベートーベンの
«第九»の大合唱と、グスタフ・マーラーの«復活»の中の大規模な歌唱に見られるように、
歌詞のついた声部も含まれるようになった。

1760年までには、バッハの上の息子たち(カール・フィリップ・エマーヌエルと
ヴィルヘルム・フリードマン)と並行して、ロンドンのウィリアム・ボイスが序曲的な
形式によって、弦楽器、ファゴット、ハープシコード、それに二本ずつの管楽器から成る
八つの‘シンフォニー’を作曲していた。交響曲の父、ヨーゼフ・ハイドンについては、
誰も正確な数は知らないようだが、およそ108の交響曲を作曲した。時代が下るにつれて
ハープシコードは交響曲から徐々にはずされていった。モーツァルトは生涯に41の、
ベートーベンは9つのみ、そしてブラームスに至っては4つの交響曲を作ったのみ
である。交響曲作品の範囲とスケールが拡大されるにつれて、特に作曲家の経済状態と
照らし合わせると、交響曲を作曲するのは、難しくなる一方であった。

交響曲の伝統が進む中で、曲には、時折、内容を表す標題が付けられた。例えば、
モーツァルトの«ジュピター»のように、作曲家の死後にそれが付けられることもあった。
作品番号を示す数が使われない場合もある。へクトール・ベルリオーズは、自滅的な
愛する若者についての物語を語る標題的で自叙伝的作品である«シンフォニー・
ファンタスティク»を作曲した。組曲は、原則的に調によって確認されるが、一方、標題
なしの交響曲は制作年代順に番号で示される。ブラームスはこうした番号についての妄想に
取り憑かれ、彼の第一は本質的にベートーベンの‘第十’であると想像した。



アメリカの交響曲作曲家たちは、ヨーロッパで確立された伝統に遅れて加わったので、
アイヴズ以前の作曲家達はそれを発展させる、あるいは覆すということは、始めは考えな
かった。当時、国民楽派の伝統が、勢いよく起こり始めており、フィンランドはシベリウス、
チェコはドボルジャーク、デンマークはニールセン、そしてアメリカはアイヴズによって
代表された。他のアメリカでの発展は、サミュエル・バーバー、ロジャー・セッションズ、
ロイ・ハリス、アラン・ホヴァネス、カウエル、その他一握りの作曲家たちによって
もたらされた。しかし、アメリカの作曲家が国際舞台に躍り出たのは、チャールズ・
アイヴズをもってしてであった。アメリカの音楽上の保守性を考えれば、驚くべきこと
ではないが、アイヴズが大リーグに登場するには、彼の«交響曲第四番»を待たねばならな
かった。

彼の«第一交響曲»は、イェール大学のホレイショー・ウィリアム・パーカーの指導の下に
1898年に完成された。若きチャールズが学士号をとって卒業するには、彼の父親から
感化された自由精神はあきらめられなければならなかった。事実、教授を満足させる
ために、アイヴズは卒業作品に保守的な性質の修正を加えなければならなかった。その
作品は詩的な印象を与えるもので、対になって奏されつつ、常に厳格なテンポで動く楽器の
音色を特に重視したものであった。

アイヴズの«第二交響曲»(1897−1901年)には、五つの楽章がある。それらは
アンダンテ・モデラート、アレグロ、アダージョ・カンタービレ、レント・マエストーソ、
そしてアレグロ・モルト・ビバーチェである。イタリア語を使ったということは、彼をより
一層ヨーロッパの交響曲の伝統に結び付けてはいたが、«コンコード・ソナタ»(ピアノの
ための)や«答えのない質問»、«ロバート・ブラウニング序曲»等のより超越主義的傾向の
強い、交響曲でない作品でもって、彼は伝統からはずれ始めた。

彼の小さいオーケストラのための第三交響曲(副題:キャンプの集い)は、1904年
までに作曲され、1909年に最終の修正がなされて、初演の翌年の1947年に
ピューリッツァー賞を受賞した。「老人たちの集い」、「こどもの日」、「聖餐式」
といった楽章名は伝統的なニューイングランドの家庭生活を映し出すものである。
初演は、ルー・ハリソン指揮による。(彼は、実は、実験的作曲家としては、一層急進的で、
上音と近親関係にある音程から成る非常に短い«フリースタイルのシンフォニー
(Symfony in Free Style [原文のまま])»を、やがて作曲した。)

アイヴズの«第四交響曲»(1910—1916年)は、それまでの作品より、更にいっそう
大規模で野心的なもので、大合唱を含み、いくつかのよく知られている賛美歌やゴスペル・
ソングも引用している。プレリュード(マエストーソ)、コメディ(アレグレット)、
フーガ(アンダンテ・モデラート・コン・モート)、そしてフィナーレ(ベリー 
スローリー:ラルゴ・マエストーソ)というイタリア語による楽章名を持ち、まだ伝統に
結びつけられるものであった。アイヴズが楽譜に、オルガンや、選択し得るものとして
テレミン(ラジオ波によってコントロールされる初期の電子音楽)、舞台裏での弦楽器、
いくつかのクォータートーン・ピアノと、複雑なポリリズムの打楽器のパターンを書き
入れたことは、後の最高の作品である«ユニヴァース交響曲»における同様の扱いを
予測させるものであった。アイヴズの他のいくつかの作品も、交響曲と呼ばれるべきで
あろうが、それらには作品番号がなく、作曲者自身による描写の中にも‘交響曲’という
言葉は使われていない。恐らくそれらは、小さいオーケストラのための小曲集を成す個々の
音詩と呼ばれるべきものである。(例えば、«祭日交響曲»と«ニュー・イングランド交響曲»
[原名:«オーケストラ・セット第一番 »])

«ユニヴァース交響曲»は、作品番号もなく、完成もしていないのに、アイヴズによって、
大胆にも‘交響曲’と題が付けられている。未完成の交響曲は、西洋の音楽芸術の伝統の
中で、特別な地位を与えられており、シューベルトの«第八未完成交響曲)»、
ブルックナーの«第九»などは、演奏会プログラムにもよく含まれる。このCDにおいて
全体が具現された«ユニヴァース交響曲»は、アイヴズの初期の作品とは著しく異なり、
又、他の作曲家のいかなる作品とも異なる。宇宙についての描写の中で定義された領域と
呼ばれるものがあるが、異なった楽章というものは一切ない。それぞれのセクションは、
プレリュードにより先行され、それが休止なしに 他のセクションへと続く。



        I      「セクションA」 (過去) 水と山の生成

        II     「セクションB」 (現在) 大地、そして自然と人類の進化

        III    「セクションC」 (未来) 天空、そして万物の精神化

曲のタイトルに‘交響曲’という言葉をはっきり使っていることは、ジョージ・ワシントン
が桜の木を切り倒した話にも似た、ある古い伝説が誤りであるということを示している。
それは、この曲が、谷をはさんだ二つの丘の上で演奏されることを意図して作曲された
というカウエルの空想的描写だが、それとは反対にこの曲は、始まりと終わりと、その間に
豊かな内容のある充実した作品である。実際、77人の奏者と彼らの多数の楽器を収容する
大きなコンサート用ステージでの演奏を意図された作品なのである。革新的で、伝統に
沿わない器楽編成は、アンサンブル用に作曲された彼の多くの作品の中で開発された
アイヴズなじみの習慣である。作曲に於けるそのような冒険は、(トランペット/
イングリッシュ・ホルン、木管三重奏、そして弱音器を使用したオーケストラの弦楽器の
ための)«答えのない質問»に最も良く示されていて、それは後の彼のオーケストラ編成を
予測させるものである。オーケストラに、フルート奏者は四人まで必要とされるに至ったが、
«ユニヴァース交響曲»には九人を指定している。そして、この最後のシンフォニーに至って、

指定されている十四人の打楽器奏者というのは、通常のオーケストラの三倍を有に越える
ものである。



増える一方の楽団員たちが指揮者の下で同時に演奏するロマン派時代(1820−
1910年)において、新しい発明がなされた。‘ルバート’はテンポを速くしたり遅く
したりすることによって、文字通り‘時を奪う’ことである。«ユニヴァース交響曲»に
おいてルバートを使うことは可能であるし、実際、楽譜に従って指揮者が指揮する時に
歓迎されるべき、そして必然的なことではあるのだが、曲全体を通じてその基礎を成す
厳格に指定されたリズムの複雑さの故に、制限も生じる。リズムの相互作用が本質的に
緊密であるにもかかわらず、アッチェレランディとフェルマータが、時としてごく限られた
奏者にのみ求められる。大地と天空とパルスとの三つのオーケストラから成るアンサンブル
全体の中の三つのセクションを指揮するために、三人の指揮者が必要とされる。(実際の
テンポは、曲全体を通じて四分音符=30に定められている。)しかし、足で拍子を取る
というような意味での‘拍子’はどこにも感じられない。

アイヴズのそれまでの交響曲と違って、«ユニヴァース交響曲»は、外の音楽のからの
引用も、彼自身のそれまでの作品からの引用もない。(アイヴズ自身が‘うちの偏見’と
呼ぶ)四分音程を使い続けているが、彼の«第四交響曲»にあるような声部用の音楽的要素は、
使われなかった。16秒というリズムの基本単位を整数で割った長さを増したり、あるいは
差し引いたりしてできる波形のリズム区分は、構造上の原則として革新的で、歴史的には
パッサカリアを思い起こさせるものである。異なった時間区分の中で起こったり、退いたり、
あるいは一致したりする打楽器の拍子が変化し続ける諸関係の中に‘メロディー’を聴く
ことができる。チャールズ・アイヴズは、次のように語っている。

「私は、この作品についてのスケッチをかなり詳しく書き出したが、まだ完成はしていない。
実際、その後、何もしていないが、この夏、是非とも完成させたいと願っている。」

「大地」のパートは、異なった時点で始まる、異なった音程から成るメロディーによって
示される。それは、時に九つから十にも及ぶ異なったメロディーで、一様でなく、重複した
対位旋律が岩だな、岩、森、大地の起伏、立ち並ぶ木々、森林、牧場、道、川など、そして
更に壮大な風景画の中に認められる遠景のうねる山並みを表す。

リチャード・タルスキンは、初めて公にベートーベンとアイヴズを比較して、両者の偉大な
最高作品の中に共通して見られる抽象的資質について論じた。

「一方に第九、他の一方に‘ユニヴァース’交響曲を置いて音楽における超越主義時代を
画する。」
(ニューヨークタイムズ 1994年10月)

ベートーベンの«第九交響曲»は、同様の持続と幅の広さをもつ。宇宙の壮大さと荘重さを
もつ曲を作曲するとしたら、それにふさわしいかなりの長さが必要とされるであろう。
アイヴズの最も偉大な名作が今や聴かれる。そのポリマイクロトーナル的内容、
‘手作り’の楽器、即興、革新的な楽器、そして‘倍音器’などの使用に鑑みて、
«ユニヴァース交響曲»は、後の多くの音楽の発展にも優る、時代を先駆けるものであると
言える。

相原節子訳
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Ives Primer 3: His Universe Symphony
Ives: Short Biography
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Symphonic Tradition And The Universe Symphony, by Johnny Reinhard
Of Pitch And Time: Delivering The Universe Symphony, by Johnny Reinhard
Interview (2005) with Johnny Reinhard about the Universe Symphony

Performers of the Universe Symphony
Recording the Universe Symphony: the producer's note
Recording the Universe Symphony: the sound engineer's note

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Premiere Previews and Reviews:
New York Times June 2 1996
(Richard Taruskin)
New York Times June 8 1996
(Alex Ross)
Village Voice April 5 1995 (Kyle Gann)
Village Voice June 4 1996
(Kyle Gann)
Village Voice June 25 1996
(Kyle Gann)

To Johnny Reinhard's home at the Stereo Society